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「絵画やスケッチを通してみる磐梯山」1日目!

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風景画のモチーフとして多くの画家たちに描かれてきた、火の山・会津磐梯山。
今年度最後の北塩原エリアプログラムは、磐梯山と画家たちをテーマにした講演会と磐梯山周辺のビューポイントをめぐるバスツアーを組み合わせた「絵画やスケッチを通してみる磐梯山」です。

10月1日(土)。この写真は、村随一の欧風アート空間「諸橋近代美術館」のアートテラスから望む磐梯山です。
直近はぐずついた天気の日が続いていましたが、それが嘘のような好天で大迫力の山容がハッキリ見えていました。

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講演会13時半より開始。
本イベントをご存じなく常設展を見にいらしたご夫婦が飛び入りで聴講してくださったりの嬉しい展開もありました。
この場を借りて参加された方々に御礼申し上げます。

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最初は「磐梯山噴火記念館」佐藤公副館長による「磐梯山という火山」と題する基調講演です。
明治21年(わずか120年ほど前)の噴火災害が、今我々の良く知る「裏磐梯」という風光明媚な景勝地を作り上げたわけですが、そのことにまつわる興味深いお話を聞き、簡単な実験(2日目のツアーで見学する「見祢の大石」の見祢集落に向かった岩なだれ現象を立体地図上で再現しました)も行いました。

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続いて「福島県立美術館」の増渕鏡子先生から「磐梯山と画家たち」と題して、江戸~明治末・大正~昭和と時代の変遷を見つつ、本当に沢山の磐梯山をモチーフにした名画をご紹介いただきました。

ところで地元在住者からすると、「こんな絵があるよ」と教えていただくじゃないですか。
するとそれを見て「あっ磐梯山じゃん」と視覚情報だけで満足しちゃうきらいがあるわけですけど、今回増渕先生から作家のこととか描かれた経緯などのバックボーンを分かりやすくレクチャーしていただいて、ものすごく理解が深まり勉強になりました。

たとえば…

1922年の小川芋銭(おがわ・うせん)の作品「沼四題」。
僕らには「これは、桧原湖の樹痕(裏磐梯は明治の噴火後に沢がせきとめられ大小の湖沼がたくさん生まれました。今も桧原湖などでは水位が低くなると水没して立ち枯れた樹木が顔を出します)だろうな。でも随分おどろおどろしい描写やね」くらいの感想なんですけど、芋銭さんって河童をモチーフにした幻想的な作品を多く遺した方だったんですね。

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増渕先生からのトリビア満載の講演はまだまだ続きます。
帝都東京から鉄道を使った場合の東北の玄関口、当時は「本宮」だったと聞いて驚くと同時に妙に納得。
モダン建築「本宮映画劇場」のある背景の一端が分かった気がします! 

小川千甕(おがわ・せんよう)の「二人旅」(1919)なる絵巻物も印象的でした。
こちらは大正時代に<喜多方~大塩~桧原~川桁~喜多方>を旅した爆笑物の珍道中がコミカルに描かれています。
笑いのセンスが少しも古くさくないのも驚きますが、それ以上に、途中立ち寄った集落名などに北塩原村民にとってなじみのあるローカルネタが頻出してくるのでビックリです。
米沢街道・大塩峠の茶屋(昭和期まで残存)、桧原の大和や(つい最近まで「大和屋旅館」ってありました!)、狐鷹処(これって「狐鷹森(こたかもり)部落」だよな…)この資料、村ではあまり知られてないんじゃないかな、と思うと、「これを広めていかねば」という使命感が湧きました。
現物は「喜多方蔵座敷美術館」に展示されていますので、お近くにお住まいの方は是非ご覧になってください。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、3時半に講演は無事終了です。
諸橋近代美術館さまのご厚意でスタッフを含む全員が常設展のチケットをいただき、この後も一同「芸術の秋」を堪能いたしました。
佐藤先生、増渕先生、諸橋近代美術館さま、ありがとうございました。

(北塩原WG 赤木進二)

2016.10.01

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