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「幻のレストラン」西方街道調査ウォーキング

10月24日(土)、これ以上ない秋晴れのもと、「幻のレストラン」プロジェクトの調査のため、西会津町と三島町を繋ぐ西方街道ウォーキングを実施しました。 (西方街道の詳細ついては、「まぼろしんぶん」をご参照ください)

参加者は総勢18名!!
アーティストのEAT&ART TAROさん、西会津町と三島町、会津若松市や昭和村からも参加者が集まり、越後街道(国道49号)から分岐する西方街道の入り口からウォーキングスタートです! と思ったら、スタート直前に軽トラに乗ったおじさんに声をかけられました。

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話を聞いてみると、西方街道沿いの近くの牛尾集落に住む方との事。どうやら我々がこの日に西方街道をウォーキングする事をどこかで聞いていたようで、この街道に対する思いや、自分たちがやっている道の整備についての活動等、激励の言葉を頂きました!

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いきなりの歓迎を受けて、いよいよウォーキングスタートです。
今回は、西方街道の西会津側の入り口から、峠を越えて三島町の西方集落までの道のりおよそ16kmのウォーキングです。

スタートすると直ぐこのような標柱が見えてきます。実はこれは街道沿いの出ヶ原(いづがはら)集落にお住まいの方が、地域への誇りと愛情で自費で建てたもの。この道沿いにはこれと同じ標柱が数本立っています。

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最初の牛尾集落の中程には「延命地蔵大菩薩」と書かれたお社が、集落を外れた場所には「馬頭観音」の碑がありました。こういう小さい史跡はウォーキングしないと見えてこないため、未チェックのものでした。今後の調査リスト入りです!

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こういった美しい渓谷も、車で通り過ぎると全く見えていない風景でした。水がとても美しく、沢山の魚や生き物の棲み家となっていそうです。
時折降り注ぐ葉っぱのシャワーも心地がいい!

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牛尾集落から30分程歩くと、出ヶ原集落に到着しました。 ここには、円満寺観音堂(俗称:出ヶ原観音堂)と呼ばれる国指定の重要文化財があります。

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室町時代末期の建立と考えられるこの観音堂は、昭和に重要文化財指定された後、村の中心部にあったのが現在の場所に解体・移転されたもので、総檜(ひのき)、茅葺き屋根、唐様建築の大変貴重なものです。
また、ここには「伊豆原山神社」の文字が見られ、伊豆から移り住んだのではないか?と言われる出ヶ原集落の由来に触れることもできます。
この建物からもわかるように、西方街道は非常に古くから重要な街道として沢山の往来がありました。

歴史の息吹を感じながら、参加メンバーは境内で昼食をとりました。

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また、ここ出ヶ原集落は、「出ヶ原紙」という和紙の生産地としても有名で、会津藩の公文書にも使われるほどの逸品でした。かつての家々には、「紙漉き家(かみすちゃ)」と呼ばれる和紙製造専用の別室まであったそうです。参加者のみなさんは、和紙の生産地として適していることを証明する、清らかで豊富な水が集落内を流れている様子を伺うことができました。
(なお、パートナーシッププログラムでは、この出ヶ原和紙の再生プロジェクトが始まっています。)

出ヶ原集落を出発して1時間程歩くと、次は黒沢集落です。集落内には蕎麦屋さんがあり、天ぷらのとてもいい香りが漂っていました。村の中では庭先で作業をするお年寄りがいたり、昔ながらの風情が漂っていました。
ここ黒沢集落には、昭和の始め頃まで鉱山があり、 映画館があったり、芸者がいたりするほどに、 一時は大勢の住民がいたそうです。
また、西方街道の西会津側の最後の集落で、峠の手前に位置するため、三島側の西方集落との交流がさかんで、文化・習俗も大変似通っているそうです。集落を抜けて少し行くと、黒沢地域でホタルのビオトープづくりをなさっている方にお会いすることができ、旧道の入り口や、日本で一つしかない「蝦夷神社」の清水を案内していただきました。

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この「蝦夷神社」は、義経伝説の謂れがある神社で、その証拠であるかのように、笹竜胆の紋が屋根についていました。

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また、三島側から峠を越えて来ると、黒沢集落に付いたという道標のような神社のため、かつて西方街道を歩いた方の記録にも、峠を降りた後にここの清水で喉を潤したという記録が残っています。

旧道の峠道は、今は草木が生い茂っていて整備しないと通れない状態のため、黒沢地区の天空に浮かぶような集落を横目にしながら、現在国道となっているルートで山を迂回しながら三島町へ入っていきました。

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峠を越えて三島に近づくと、かつての杉の植林が並ぶちょっと暗めの道になります。

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三島側では、旧道の跡地や幽霊清水と言われる湧き水、また番所(ばんにゃ)と呼ばれるかつての関所の周辺で西方街道と西方集落の説明を三島町の学芸員に受けながら、目的地の西方集落に入りました。
西方集落の家並みに囲まれた参加者は、 山の道のりを越えてきたことで、里に降りた安堵感のようなものと昔にタイムスリップした気分で、西方集落が大きな町のように思えたと口々に語っていました。

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そして西方集落の商店には、今回の「幻のレストラン」プロジェクトの発想の原点でもある、海を象徴するような食材「えご草」(海藻を感想させたもので、エゴという寒天状の料理として、このあたりでは祝い事や特別な日に振る舞います)が売られていました。

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そしていよいよ、目的地である「森の校舎カタクリ」に到着。参加者全員で記念撮影をしました。

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全行程約16kmの道のりを経て、意外に遠くなかったという人、山越えの不安感などを口にする人、当時歩いていた人々がこの道で創造した「海」への憧れはどんなものだったのかを考える人など、歩くという行為によって街道への新たな見方が生まれたようです。
今後、参加者から今回の感想を集めつつ、「海と山を繋いだ街道」としての西方街道をキーワードに、「幻のレストラン」の開催へ向けて、プロジェクトは更に進んで行きます。

(西会津WG 矢部佳宏)

2015.10.24

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